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こちら情報局


「本音のコラム」
『東京新聞』
00年12月29日付
こちら情報局

20世紀最後の...

 二十世紀もいよいよ終わりに近づいている。俳優の永瀬さんが世界の著名人の懐かしい場面に出没し、カップヌードルを頬張るというコマーシャルも登場した。

 そういえば、バブル崩壊の直前に、次世代カップヌードルを数個入手したことがある。熱湯も水も要らないその商品、希望小売価格500円。まだ試作品の段階だったが、蓋を開ければ5分でぐつぐつ。アウトドア向けということだったが、雪山の斜面ではちょっと危険な商品だったのか、それともマーケティングの結果、価格的にもこれでは売れないと判断されたのか、まだ世には出ていない...。

 二十世紀最後の二十年。いや正確には十五年であろうか。日本はおいでおいでをされた結果、民間が積極的に外国へと出向き、一時はジャパンマネーが世界経済を席巻するに至った。

 が、最初の5年こそ活気に満ち、上り調子だったものの、次の5年で元に戻ってしまった。それどころか、少し悪くなっている。まるで昨今のドットコム企業の様...。

 少し悪くなっていると表現したのは、世知辛い世の中になっているからだ。

 「世知辛い世の中」というこのフレーズはいつの時代も同じ。「最近の若い者は...」と似ている。

 が、その神髄には、機械化、自動化、コンピュータ化、ネットワーク化でどんどん便利になるに伴い、失っている何かがあることに気がつかされる。

 年末のこの時期は一年を振り返る時期でもある。日々の生活があり、必死に生きる毎日では、立ち止まる余裕などないだろう。が、追いつけ追い越せでこれまできた道が私達の本来の感覚と少し違うなぁと気が付いたならば、戻る勇気も必要だ。

 世に出なかった次世代商品があるから、繁栄が続くこともある。