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こちら情報局


「本音のコラム」
『東京新聞』
00年1月6日付
こちら情報局

巳年

 恒例の正月コラム。巳年にちなみ、蛇を題材に一年の抱負を語りたい。

 ヘビで、まず思い出すのは「アダムとイブ」。サタンの化身として禁断の果実を食べるように誘惑したため、人類は堕落したというのは聖書での話。その堕落の一つが人類同士による大量殺戮である。

 20世紀は「戦争の世紀」と言われたが、果たして21世紀はどういう世紀になるのか。大戦は回避される方向に向かいつつあるが、局地戦は消えていない。

 戦争の代償として科学技術の進歩があり、これまでの繁栄を手にしていたとすれば、その価値観を反転させる努力を怠ってはいけない。

 いかにして平和を持続させていけるのか。

 他人に施しを与えられる「たおやかな心」、直接の利害関係がなくても困っている人がいれば駆けつける。若者を中心に拡がりつつある自然体のボランティア精神。 大人もいったん立ち止まり、事態を受け入れ、自らの意志で行動する彼女・彼らを見習いたいものだ。

 蛇。「蛇のような性格」という表現はしつこさを表す。ストーカー行為は許されないが、諦めやすくては個々の閉塞状況を打破できない。「石の上にも三年」。どんな職業でも基本的なスキルを身につけるには三年ほどの時間は当然とされる。

 中途採用が当たり前の世界になってはいるが、転職が安易過ぎないかという批判も多い。育てられた恩義、育てるために費やした時間とコスト、目に見えない範囲での先輩のフォロー、転職に伴い新天地で発生する様々な軋轢を、自らのキャリアアップのための通過点として割り切り過ぎるのも考えものだ。「継続は力なり」である。他人に迷惑をかけない範囲で、一度食らい付いたらどこまでも、独自のスキルを獲得するまでは「日々精進」といきたいものだ。

 ギリシャ神話の中で蛇に係わるエピソードとして思い出すのは、メドゥーサの話。メドゥーサは元は美しい女性であり、長い髪を何より自慢していたが、海神ポセイドンの寵愛を受けたために、その妻に嫉妬され、美しい巻き毛はことごとく蛇に変えられ、逆立つ蛇の頭髪を持つ怪物になってしまった。メドゥーサの住む洞窟の周辺には、その恐ろしい顔を見て石になってしまった人間や動物の形をした石がゴロゴロしている。

 その怪物を退治したのがペルセウスだ。

 この十年間の日本経済は正に石になった感がある。今後、果たしてメドゥーサは退治されるのか。英雄ペルセウスは出現するのだろうか。

 蛇は脱皮する。20世紀から21世紀への脱皮。私達は古き「鎧」を脱ぎ捨て、新たな何かをまとうべきだ。「捨てる技術」なる書籍がベストセラーとなっているが、捨てるべきは古き価値観。親方日の丸は頼りにならず、個々人の責任が突然問われるようになった。

 がこれを鵜呑みにすると、個の力の限界に屈することになる。

 個の時代とは個と個の連携の時代であり、それぞれが連携できるコミュニティ(共同体)を見つける努力をしたいものだ。

 複数のドラえもんのポケット(共同体)を持ち、シーンごとに活用する。そうした選択肢のある生き方こそが、ネットワーク社会での基本戦略である。

 蛇は低温動物。今年は冷静沈着に行動しよう...。

 え?もうそのぐらいで充分だ?ダラダラと長いぞ?そういえば「蛇足」と言う言葉もあるなぁ(笑い)。

 本年もどうぞ宜しくお願いします。