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こちら情報局


「本音のコラム」
『東京新聞』
00年2月2日付
こちら情報局

鉄道事故

 JR新大久保駅の事故は、転落者を救おうとした働き盛りの日本人カメラマンと「韓・日」の架け橋として未来を嘱望された好青年の命を奪った。

 大変痛ましい事故であるとともに、助けに入った二方の遺族への対応も含め、何か具体的な施策の検討が求められる。

 たとえば、JRトップは乗客へのサービス低下やコストへの転嫁を盾に、何か言い訳がましい対応をしそうな気配だが、直ちに目に見える改善を期待する。

 20世紀の最後の10年は、企業パフォーマンスが吟味され、民営化による採算性ばかりが追求されてきたが、そろそろ価値尺度をアジア的なものへシフトし、居心地の良い生活実感を取り戻したい。

 今回に限らず、事件・事故後に担当セクションは善処を約束するが、モグラたたきのごとく事後的に安全策を導入するのでは、公共輸送機関も廃れていくだろうなぁと考える。

 大胆な予想をさせて頂くならば、そのうちニューヨークやロサンゼルス並みに自動車通勤が主流になり、郊外に駐車場を完備した企業が優秀な若者に流行る時代が来る。

 80年代の米国で鍵が二つ三つ付いているマンションを見て日本の安全神話を確認していたのが、まるで嘘のような社会不安が押し寄せている。

 最近は車両内の不審火や悪戯書きが多発しているとも聞く。

 公共の安全を監視すべき大人の私達の責任放棄を反省するとともに、施設を管理運営する「ヒト」の介在が極端に少なくなり、「人間性」が希薄化していることがその背景にあることを実感すべきだ。

 有人監視を復活させ、狭いホームを広げたり、柵を作ることが、都会人にとっての防波堤であり、ダムとなる。私企業では難しいなら公共事業としてやれば良い。