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こちら情報局


「本音のコラム」
『東京新聞』
98年8月28日付
こちら情報局

透明性

 近頃、巷では透明性の確保が声高に叫ばれている。実は、最近、透明性とは何かを実感させられる出来事に遭遇したので、紹介がてら、その本質に迫ってみたい。

 全国の銘酒を売りにする和風創作料理の居酒屋で発生したケースである。竹の筒に日本酒を入れて出すそのお店で、打ち上げに参加した人達が、最初は物珍しく、風流だなぁと呑んでいた。宴たけなわになり、その竹筒の日本酒を追加注文するにつれ、あることに気が付いた。当初は竹筒一本で参加メンバー全員に注いで回ることが出来たのに、途中で筒が空になってしまうのである。考えた理由は一つ。筒の中一杯にお酒が入っていないのである。こうなってくると、風流などと言っていられない。呑むことが大事なのだから、竹でなくてガラスで充分とお洒落気分もどこへやら。

 似たような経験で、こういうのもある。流行の素焼きコップで生ビールを出すその居酒屋、なみなみと泡だったコップを前に、暫し取引先と仕事の話に夢中になり、さていざ飲もうとした瞬間、コップの中のビールの2割が消えていた。素焼きのコップの表面ぎりぎりになみなみと注いだと思いこんでいても、実際には4割以上が泡の状態で、お客に出してしまったのである。

 前者の例ではお店側が確信犯的にそのような商行為を行っている。決してお酒が嫌いではないので、こういう事例を教訓に、お酒に呑まれないことも大事である(笑)。

 商売人の風上にもおけないと考えるだろうが、実は後者の例の方が事は重大だ。サービスを提供する側が故意に行っていないにも係わらず、サービスを受ける側が不利益を被っている。巷で議論していることの中には後者の事例も多々あり、やはり透明性を確保することが分かり易さの第一歩である。