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こちら情報局


「本音のコラム」
『東京新聞』
99年8月13日付
こちら情報局

国旗・国歌法

 広島、長崎に原爆が投下されてから54回目の夏が到来した。

 お盆のこの時期、多くの人が家族で集い、先祖を敬う。もっとも最近は、不景気も手伝い、大型連休と称する一時帰休が実施され、持て余すのは時間ばかりという方も多かろう。

 さて、そんな開店休業に向かう国民意識とは裏腹に、国会では国民が選任した「代表」が矢継ぎ早に重要法案を通過させている。

 賛成・反対について意見を述べる前に、少しテクニカルに物事を進行し過ぎていないか、再度チェックすべきではないかと一言申し上げたい。

 多少の個人差はあるものの、一般庶民感覚で言うならば、売り子さんに矢継ぎ早に勧められるものは、眉唾ものと考え、少し時間を置いて熟考するものだ。

 百歩譲って、悲願だ・念願だ・法案の通過だというのであれば、なおさらのことである。それが民主主義というものだ。一連の法案通過に向けたプロセスは、訪問した上司のお宅で食事を頂戴し、消化もせぬうちに、あらもうこんな時間と近くの駅まで送られるようなものとして捉えてしまった。

 それともう一つ気になったのだが、先だって亡くなられた広島の県立高校校長先生を巡る痛ましい出来事の要因を早く除去したいというコメントである。それはそれで筋が通る話なのだろうが、なんだか事の本質とは関係のないことを理由に、全ての事象に蓋をするような作業に見えてならない。

 では君は国旗・国歌は重要ではないと主張するのかと問われれば、「とんでもない、何時も意識し、とても重要だと考えている」とお答えしよう。問題はプロセスだ。

 「自自の亀裂」と「公の参画」の間の真空地帯での法案通過では、本当に「真空総理」として名が残りはしないかとても心配である。