トップへ


こちら情報局


「言いたい放談」
『東京新聞』
03年07月18日付
こちら情報局

12才

 長崎で起こった幼時殺害事件の犯人は、中学一年。12才ということで衝撃が走った。少年法が改正されたばかりなのに、どこをボーダーラインにするかの論争が再び巻き起こっている。
 
 厳罰派は、「だから11才以下を主張したんだ」「いや10才だってありうるし、現に英国のある州ではそうしている」「親も引きずりだせ」という。
 
 一方の擁護派は、「いくら線引きをしてもだめ」「罰することには限界がある」と主張している。
 
 親は親で、自分の子供との対話が正常かを気にし始め、さっそくワイドショーは親子十数組をスタジオに招いての討論企画を放送していた。
 
 12才とは何か。数年前の17才バスジャック事件当時、本紙「本音のコラム」に書いた筆者の原稿を読み返してみた。
 
 『傍観する私たちは、自らの周囲を見回し、事件の再発を警戒することを確認しあうのだが、全員が事件の利害関係者であり、当事者であるとの自覚は少ない。』
 
 『国民全員が第三者として事件の検証を行い、17才というレッテルをはった特殊ケースとして葬り去るのだろうか。』
 
 17才を12才と言い換えても通じる。ということは、社会全体の安全装置はまだ機能していないことを意味する。
 
 犯罪の再発防止のための知る権利が叫ばれ、メディアは今日も長崎の街角でカメラを回す。取材することで、事件を風化させないというが、街の人たちの心の傷が増幅しないか?
 
 気になったのは、中学の校長先生。お気の毒だ。入学後たった3ヶ月で中学校側に何が出来るのか?今後、地域で問題が発覚した場合、どういうシステムで、上の学校に引き継ぐのか。謝罪する校長先生を見て、さらに動揺する子供たちがいるかどうかの検証も必要ではなかろうか。
 
 それにもまして、リスクの連鎖を断ち切るためには、これまでの教育の「利害関係者」とは別の視点が必要だろう。
 
 社会全体としてリスクをどう捉え、回避するか、縦割り社会の矛盾が垣間見える。