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こちら情報局


「言いたい放談」
『東京新聞』
03年12月05日付
こちら情報局

イラク日本人外交官殺害

 年末進行で前倒しとなる複数の連載コラムを書いていたら、日曜日早朝にニュース速報が流れた。嫌な予感がした。
 
 そして、予感が的中。イラクで公務に尽くされていた奥克彦・在英大使館参事官と井ノ上正盛・在イラク大使館3等書記官が犠牲となった。
 
 当日以降の報道番組では急遽番組の一部が差し替えられ、自衛隊派遣の是非が識者により論じられている。
 
 週明け、いつものように各局のワイドショーでは、あちらこちらで取材してきた学生時代の逸話や実家の状況、残された家族などがストーリーとして重ねられていた。
 
 いつもながらに、国に奉仕し、こうして散っていく「公」の皆さんへの労いが、私達国民に本当にどの程度あるのか、疑問を持つ。
 
 例えば、数年前、筑波大学の秋野助教授がタジキスタンで犠牲になったことを何人の方が思い起こされただろうか。例えば、カンボジアで犠牲になった中田、高田両氏について、何人の方が考えて下さっただろうか。
 
 気になる表現があった。フジテレビの和田解説委員が「政府職員が犠牲になった」と日曜日にコメントした。翌日は「外務省職員」。何か行間に意図はあるのだろうか。外交官という表現でよいのではないか。
 
 外交官は国家を代表し、治外法権の立場で行動する。確かに政府職員だが、外交官が意図的に殺害されている。時と場合によっては、国対国の宣戦布告に繋がるポジションだ。
 
 岡本首相補佐官は目に涙をため、「奥のしかけたこと」を全うするという意味深な言葉を残し、空港を後にした。だが、外務省のネット上に残された奥参事官の言葉は、国連主導が一番と行間で語っているようにも読み取れる。
 
 事件背景だが、現地を熟知していた両名が警備車輌を着けられなかったのは、自衛隊派遣での安全性を誇示する必要が政府筋にあったのか、なかったのか。安全ですよ、というメッセージを貫くために無理した結果がこれなのかが気に掛かる。