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こちら情報局


「本音のコラム」
『東京新聞』
98年5月1日付
こちら情報局

自動改札

 通勤に利用しているH駅が申し訳程度に段ボールで、自動改札横の精算窓口の隙間を狭くしてしまった。その後徐々に建造物はエスカレートし、鉄格子のようなストッパーが登場。間口が一気に狭められ、精算窓口横から定期をかざしての通過を困難なものにした。

 このH駅はまだマシな方である。住居を構えるY駅などは、精算窓口からの通過を完全に遮断。駅員との直接精算を必要とする乗客は、精算後、待ち行列の乗客をかき分け、元来た通路を戻り、自動改札を経て、ようやく解放される。毎日多くの乗客が殺気だち、不愉快な思いをしている光景を目にする。

 バリケードを徹底するか、駅によって対応は異なる。従来通り、定期を見せながらの通過を認める所もある。これに対し、紳士的と思われる乗客の一部が、定期をかざして自動改札を強硬突破、強い不快感を行動で示している。

 考えてみると、当初地下鉄側は駅員の作業負荷の軽減を図るとともに、乗客の改札スピード(即ちサービス)を向上させる目的で自動改札を導入した。一部通路については有人改札を維持し、臨機応変の対応を手がけていた筈だ。毎日地下鉄を利用する人にとっても、定期は有人改札、購入切符は自動改札という選択肢がすこぶる快適で合理的であった。

 今回の措置は、キセル乗車防止という大義名分があるものの、その効果は自動改札の不徹底一つをとっても甚だ疑問である。バブル崩壊で無機質な近代都市化傾向に歯止めがかかりつつあるが、効率性追求の徹底だけは弛められていない。人間が生活を営むための暖かみのある知恵がそこには欠けている。