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こちら情報局


「本音のコラム」
『東京新聞』
98年12月25日付
こちら情報局

クリスマス

 クリスマスである。朝、目を覚まして、枕もとのプレゼントを発見しただろうか。或いは、恋人や親しい知人とイブの晩に飲み明かし、外出する気になれない程幸せな二日酔い状態でいるのだろうか。

 筆者が幼少期を過ごした昭和四十年代は、ちょうど高度成長期への入口にさしかかった頃であり、大方の国民は白黒テレビで放送されるアメリカの番組から、クリスマスなるものを学び、ケーキやツリー、プレゼントなどを用意したものだ。古き良き時代とでも言うのだろうか、クリスマスは家族で祝い、家長を中心に、行事が切り盛りされていた。

 クリスマスでとても印象深いのは、小学校の低学年の頃、その当日に学校が冬季休暇に突入した時のこと。お約束の「成績表」を持ち帰るのだが、元来勉強が苦手で、自然児のように一切親に干渉されずに育ったせいか、成績はいつも水平飛行。可もなく不可もない「のび太君」状態だったことを思い出す。「ドラえもん」にお願いして成績表を少し嵩上げしてもらえるわけでもなく、「両親はきっと、もう少し勉強が出来ることを望んでいるのだろうなぁ」と、ほんのちょっぴり複雑な心境で夕食のごちそうを待っていたものだ。

 当時、NHKの教育テレビだったか、夕方頃にクリスマスに関する短編映画や人形劇が放送されていた。人に施しを与え、貧しくても幸せになれるそんな内容だったはずだ。今思えば、あれも情操教育のひとつだったのだろうか。 

 そのせいかは解らないが、毎年この季節になるとなぜか人に優しくなれる。この時期、街頭ではきまって救世軍の社会鍋にポケット全部の小銭を寄付させて頂いている。学生時代から社会還元への第一歩と考え実行している。

 世界中から紛争と飢餓が無くなることを心から祈るばかりだ。