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永遠なる無駄遣い


永遠なる無駄遣い
コートダジュール、パリ 1997

(9)パリ - 6/6


<オペラ・マンダランの中華レストラン女主人の苦労話>

 ホテルに戻って、少しシエスタ。と言っても18時は回っている。今日は胃休めだ、日本食だと気張ったが、紹介された日本料理屋は少し遠いので、近くのオペラ・マンダランに。ここは、パリの三越のすぐ隣り。以前から旅行ガイドで気になっていたお店ではあるものの、ロケーションからしてパスと決めていた。値段も安くはなさそう。通りから店の玄関までのアプローチは暗くて、店の中も暗いので、入りづらい。でも、少しだけ、美味しいものを食べようと入る。

 既に、日本人の現地駐在員と思われる一団(12人)が宴たけなわ。奥には香港人らしき若奥さんのグループ(5人)。後は、日本人女子大生のグループ(4人)。最初に案内された席がレジと入り口に近くてパス。その直ぐ奥の席を指差して、中国語であそこが良いと言ってみると、あそこはトイレの側だからと。で、お気に召すままと更に左奥の方へ。かなり広いお店なのだが、パリにしては照明が暗く、どんよりとしている。結局、小さな柱を隔てた香港人グループの隣の席に。店全体が見渡せる壁側の中央と相成った。

 食事は、スペアリブ、ワンタン、トウフと野菜の炒めたもの、チャーハンなどを注文する。かなり旨い。特にコショウの味がきいたスペアリブはカリカリとしていて旨味かった。

 暫くすると女主人登場。日本人と思っていたのか、流暢な中国語にびっくりしたご様子。さらに流暢な日本語に二度びっくり。なんでも、子供(次男)が日本人の嫁をもらったとか。ここにツアーで来ていたOLと結婚し、家業の中華料理はきついからと、貿易を始めたそうだ。

 へぇーー。旅行に来たパリで、食事をした店の二代目と結婚することもあるのかと、いっきに取材魂がムラムラ。どこから来たのか根堀り葉堀りと聞いてみた。

 なんでも、1958年に上海から香港に逃げて、1963年に香港からパリに渡ったとか。現在の店舗は1974年に手に入れ、大変苦労したようだ。ときどき、ウッスラ目に涙。3人の息子を育て、次男が日本人の女性と結婚。孫は2才で、フランス語と日本語しかわからず、会話でやや苦労。中国語を教えたいらしい。

 うーーん。だんだん、同じ中国人としてなのか、親の世代ぐらい年が離れているからか、或いは、息子さん達と印象がだぶるのか、向こうが説教調になりつつある。生活態度のことやら、仕事はなにしているとか、今パリになにしに来たとか、最後にはしっかり働きなさい。うーん。母親モードに入ると、中国というか儒教の国は黙って年配の方の話を聞くしかない。それが歴史の重みでもある。でも、参ったなぁ、早く退散しなきゃ。愚痴の聞き役でもしょうがないし。

 そうそう、隣の香港の若奥様グループはパリに遊びに来て、4日目。この店がすっかり気に入って、毎日晩飯時に入り浸りだそうだ。腕にはカルティエ、足元にはヴィトンやらエルメスの買い物袋。でも毎日中華料理だそうです。みんなで香港に居るのと同じ調子でワイワイガヤガヤとやっている。

 お店は、150人収容可能で、普段の昼はJTBとかが良く使うし、近くの日本の会社の人達も良く食べに来る。なんでも、昨日は夕食もJTBのツアーが150席全てを占拠したらしい。一人150F(3000円)の晩飯で大変な御馳走を2時間以上の時間をかけて優雅に食べたそうだ。全員正装して。あんまり団体客入れると固定客が逃げるのでバランスを考えたらと言ったのだが、聞く耳なし。よほどの上客なのだろうか?

 でも、日本人旅行客は大変でしょと尋ねたら、「とんでもない、行儀が大変良い」とのこと。どんなに金つまれても、台湾と香港の団体客は暴れる(うるさい)から、受け入れないそうだ。隣に香港からの客が居るのに、ちょっと手で口元抑えて、中国語でまくしたてた。でもね、私が聞こえているなら、彼女達も聞こえているよ。

 当方、それでも、そんなものかなぁと、少し考え込む。確かに、台湾とか香港からの旅行客はまだまだこれからという感じだが、そんなに日本からのおばちゃん/おじちゃんのグループがお行儀良いとも思えないけど。

 今の最大の悩みは従業員のことだそうだ。良い人が雇えないのと、20年以上働いても、辞めない古参が居て、給料の支払が大変なそうだ。どうだろう、日本の女子大学生とかOLはパリに憧れていて、昼間の暇な時間、美術館巡りかフランス語会話でも習わせて、寮を常設すれば、けっこう担い手はいるようだがと提案。6ヶ月単位で考えればいいのではと。最初は中華料理の基礎知識だとか、労働基準法のことやら、グチェグチャ否定的なことを言っていた。でもスキー場のように、忙しい時だけパートタイムで働いて、後は遊ぶの自由とかあるでしょといったら、そのうち何かヒントを得たのか、試してみるそうだ。

 話しているうちに、サービスのサンキスト・オレンジが出てきた。更にコーヒー飲むか、御馳走すると言われたが、そのままパリ滞在も困るので、辞退して引き上げる。結構、面倒見の良いオーナーで、これでパリのオペラ座近くに知り合いが出来たと大満足でホテルに戻る。

 途中カフェの上の日本語発見。「手っ取り早い昼食いつでも」。誰が教えたこんな迷キャッチ。


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